サイゼリヤの間違い探しはなぜあんなに難しいのか

人生で最初に味わう挫折がサイゼリヤの間違い探しである。

 

間違いだらけのこの世の中で、サイゼリヤの間違い探しだけは間違っていない。

 

キッズメニューにあの難易度をぶつけてくる、作者の心こそが間違っている。

 

なぜ、サイゼリヤの間違い探しはあんなに難しくなってしまったのか。

 

その理由として、現在さまざまな説が登場しているが、その中で主な説をここで説明してみる。

 

 

1.子どもたちに退屈をさせないための工夫説(子供説)

 

まず、最もわかりやすい説は、単純に子どもたちに退屈させないような工夫をしているという説である。子供説ともいう。

かつての一般的な考え方であった。

 

しかし、この説には欠点がある。

 

大人でも見つけられないような高度な間違いを、子どもたちが注文から店を出るまでに全部見つけることは考えにくい。

 

子どもたちの集中力は思っているよりも長く続かない。

 

2つのそっくりな絵に子どもたちが向き合っていられる時間はせいぜい5分である。

 

その間に間違いをすべて見つけられなければ、子どもたちは退屈になってしまう上、「自分は問違いを見つけられなかった」というトラウマを植え付けられることとなる。

 

そうすると、サイゼリヤの間違い探しが真に子どもたちのために存在するという説は考えにくい。

 

 

2.大人のための存在説(大人説)

 

サイゼリヤの間違い探しが子どものために作られたものでないとするならば、大人のために存在すると考えるのが自然である。

 

子供説に対する批判から、このような大人のための存在説(大人説ともいう)が提唱され始めた。

 

この説からは、間違い探しのあの鬼蓄な難易度の説明がしやすい。

 

大人のための遊びなのだから、難しくしないと歯ごたえがなく、すぐに飽きられてしまうということである。

 

ただし、この説にも欠点がある。

 

なにしろ、掲載場所がキッズメニューなのである。

 

大人のための遊びであるなら、グランドメニューに載せるのが自然である。

 

キッズメニューに掲載されている間違い探しが大人のためのものであるということは説明に無理があるように思われる。

 

 

 

3.フリーメイソンの入会条件説(条件説)

 

子供説も大人説も一長一短、決定打に欠けていた。

 

そこで登場したのが、最近の有力説であるフリーメイソンの入会条件説(条件説)である。

 

入会の試練としてサイゼリヤの間違い探しを課しているのだ。

 

この説からは、間違い探しは会員を選抜するための道具なのであるから、真に難しくしなければならず、難易度が高く設定されていることの説明がつく。

 

また、フリーメイソンは入会資格として何らかの真摯な信仰を要求しているところ、サイゼリヤに意味深に飾られている絵画は、これらの信仰と何らかのつながりがあるともいわれている。

 

ここから、サイゼリヤに入会の試練が存在していることを説明できる。

 

 

また、掲載場所については、フリーメイソンが掲げる「自由」「友愛」といった理念から、「自由」や「友愛」を象徴する子どもたちが集うキッズメニューという場所へ記載しているという説明をするのが一般的である。

 

さらに、フリーメイソンのシンボルのひとつ、プロビデンスの目は、サイゼリアの間違い探しをしている子どもたちの目であると考えれば、シンボルマークについての謎も解ける。

 

このように多くの事象について説明がしやすいことから、条件説は多数の支持を得ている。

 

ただ、この説にも批判はある。

 

すなわち、フリーメイソンが入会資格を成年男子としていることから、大人説に対するものと同じ批判が当てはまる。

成年男子のみが入会の試練を受けるのだから、結局キッズメニューに書く意味はないということである。

この批判はもっともであり、条件説の論者もここを克服するために日夜研究に励んでいる。

 

 

 

 

 

このように議論は錯綜状態にあり、現在も明確な正解は見つかっていない。

 

サイゼリヤまちがいさがしについて、みなさんの考えるきっかけになれば幸いである。

 

ひとつだけ分かることは、あの間違い探しは難しすぎるということだ。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくれた優しい方々は、この文章の中に3つの間違いがあるということに気が付いただろうか。

 

読んでくれてありがとう。