英語教育の過去、現在、そして未来

今日はこどもの日。

 

確かにそのとおりである。

 

だが、こどもの日があまりに有名すぎて、みんな今日がもっと大切な日であることを忘れている。

 

 

そう、「たべっ子どうぶつの日」である。

 

 

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たべっ子どうぶつは食べながら英語を学ぶことができる、まさに一石二鳥の革命的ビスケットである。

 

同じく学ぶことができるお菓子としては、ねるねるねるねがあるが、あれは理系の子が食べるものである。

 

私のような文系の人間はたべっ子どうぶつ一択である。

 

たべっ子どうぶつを手に取った瞬間、私の進路は決まっていたのである。

 

 

 

あと、たべっ子どうぶつはとにかく味がおいしい。

 

バターの風味が豊か。

コクがあってまろやか。

 

誰もが一度はハマったことだろう。

 

 

 

ただ、書かれている英語の中には結構難しいものもある。

 

「FURSEAL」…おっとせい

 

PORCUPINE」…やまあらし

 

この辺の英語なんかは普通に知らなかった。

 

 

 

LYNX」…おおやまねこ

 

 

これに関してはもう日本語で言われても全然ピンとこない。

 

 

我々は実は英才教育を受けていたのだということがよくわかる。

 

 

 

 

その難しさに目をつけ、私は大学受験の英語の勉強はもっぱらたべっ子どうぶつに頼っていた。

 

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その結果、センター試験の英語では、アニマルが登場する設問に関して好成績をおさめることができた。

 

これもすべてたべっ子どうぶつのおかげである。

 

ギンビスには感謝してもしきれない。

 

 

未来のこどもたちのために、たべっ子世界史や、たべっ子哲学なんかのシリーズも出してほしいと思う。

 

 

 

 

現代社会において、英語でのコミュニケーション能力が様々な場面で求められており、英語の重要性はもはや言うまでもない。

 

たべっ子どうぶつもこれからますます重要になってくると思われる。

 

もっとも身近で手軽な勉強ツール、たべっ子どうぶつをこれからも応援していきたい。

サイゼリヤの間違い探しはなぜあんなに難しいのか

人生で最初に味わう挫折がサイゼリヤの間違い探しである。

 

間違いだらけのこの世の中で、サイゼリヤの間違い探しだけは間違っていない。

 

キッズメニューにあの難易度をぶつけてくる、作者の心こそが間違っている。

 

なぜ、サイゼリヤの間違い探しはあんなに難しくなってしまったのか。

 

その理由として、現在さまざまな説が登場しているが、その中で主な説をここで説明してみる。

 

 

1.子どもたちに退屈をさせないための工夫説(子供説)

 

まず、最もわかりやすい説は、単純に子どもたちに退屈させないような工夫をしているという説である。子供説ともいう。

かつての一般的な考え方であった。

 

しかし、この説には欠点がある。

 

大人でも見つけられないような高度な間違いを、子どもたちが注文から店を出るまでに全部見つけることは考えにくい。

 

子どもたちの集中力は思っているよりも長く続かない。

 

2つのそっくりな絵に子どもたちが向き合っていられる時間はせいぜい5分である。

 

その間に間違いをすべて見つけられなければ、子どもたちは退屈になってしまう上、「自分は問違いを見つけられなかった」というトラウマを植え付けられることとなる。

 

そうすると、サイゼリヤの間違い探しが真に子どもたちのために存在するという説は考えにくい。

 

 

2.大人のための存在説(大人説)

 

サイゼリヤの間違い探しが子どものために作られたものでないとするならば、大人のために存在すると考えるのが自然である。

 

子供説に対する批判から、このような大人のための存在説(大人説ともいう)が提唱され始めた。

 

この説からは、間違い探しのあの鬼蓄な難易度の説明がしやすい。

 

大人のための遊びなのだから、難しくしないと歯ごたえがなく、すぐに飽きられてしまうということである。

 

ただし、この説にも欠点がある。

 

なにしろ、掲載場所がキッズメニューなのである。

 

大人のための遊びであるなら、グランドメニューに載せるのが自然である。

 

キッズメニューに掲載されている間違い探しが大人のためのものであるということは説明に無理があるように思われる。

 

 

 

3.フリーメイソンの入会条件説(条件説)

 

子供説も大人説も一長一短、決定打に欠けていた。

 

そこで登場したのが、最近の有力説であるフリーメイソンの入会条件説(条件説)である。

 

入会の試練としてサイゼリヤの間違い探しを課しているのだ。

 

この説からは、間違い探しは会員を選抜するための道具なのであるから、真に難しくしなければならず、難易度が高く設定されていることの説明がつく。

 

また、フリーメイソンは入会資格として何らかの真摯な信仰を要求しているところ、サイゼリヤに意味深に飾られている絵画は、これらの信仰と何らかのつながりがあるともいわれている。

 

ここから、サイゼリヤに入会の試練が存在していることを説明できる。

 

 

また、掲載場所については、フリーメイソンが掲げる「自由」「友愛」といった理念から、「自由」や「友愛」を象徴する子どもたちが集うキッズメニューという場所へ記載しているという説明をするのが一般的である。

 

さらに、フリーメイソンのシンボルのひとつ、プロビデンスの目は、サイゼリアの間違い探しをしている子どもたちの目であると考えれば、シンボルマークについての謎も解ける。

 

このように多くの事象について説明がしやすいことから、条件説は多数の支持を得ている。

 

ただ、この説にも批判はある。

 

すなわち、フリーメイソンが入会資格を成年男子としていることから、大人説に対するものと同じ批判が当てはまる。

成年男子のみが入会の試練を受けるのだから、結局キッズメニューに書く意味はないということである。

この批判はもっともであり、条件説の論者もここを克服するために日夜研究に励んでいる。

 

 

 

 

 

このように議論は錯綜状態にあり、現在も明確な正解は見つかっていない。

 

サイゼリヤまちがいさがしについて、みなさんの考えるきっかけになれば幸いである。

 

ひとつだけ分かることは、あの間違い探しは難しすぎるということだ。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくれた優しい方々は、この文章の中に3つの間違いがあるということに気が付いただろうか。

 

読んでくれてありがとう。

上品なスカンク

動物占いというものが流行った。

 

生年月日を使った占いで、人々は12種類の動物に分けられる。

 

コアラ、オオカミ、トラ、黒ひょう、サル、ひつじ、チーター、たぬき、ゾウ、こじか、ライオン、そしてペガサスの12種類である。

 

ペガサスだけ明らかに次元が違う。

動物占いを最初に考えた人、あんた絶対ペガサスだろ。

自分の動物だけ明らかに優遇しすぎである。

 

 

動物占いでは、12種類の動物の中でもさらに細分化されていて、

「サービス精神旺盛なコアラ」

「クリエイティブなオオカミ」

「愛情あふれるトラ」

など、全部で60種類存在する。

 

ちなみに、ペガサスは

「落ち着きのあるペガサス」

「強靭な翼を持つペガサス」

「波乱に満ちたペガサス」

「優雅なペガサス」

の4種類がある。

 

動物占いを最初に考えた人は絶対「強靭な翼を持つペガサス」だ。

あからさまである。

誰だって「強靭な翼を持つペガサス」がいいに決まっている。

中学2年生の頃の私が動物占いをして「強靭な翼を持つペガサス」と出ようものなら、自分は特別な人間なんだと勘違いする。

私は何にも縛られないペガサスなんだ、と授業中ずっと窓の外を眺めて一日を終えるであろう。

 

 

 

そんな動物占い、私も何の動物か調べてみた。

 

 

これは絶好のつっこみチャンスである。

例えば、「落ち着きのないサル」だった場合、「いや、ただの悪口だろ!」とつっこむことができる。

また、「フットワークの軽いコアラ」だった場合でも、「いや、フットワークが軽いならコアラに位置付けるな!」など、可能性は無限大である。

 

 

わくわくしながら結果を見た。

 

 

 

 

「情熱的な黒ひょう」

 

 

 

 

 

そこそこかっこいいな。

 

なんだその動物!と言うほど悪くないし、情熱的ってなんだよ!とも言いづらい。

 

人生最大のつっこみチャンスを私は逃してしまったのである。

 

 

これならもういっそのこと

「原宿にいそうなカブトムシ」とか

「上品なスカンク」とか

「かわいそうなゾウ」とかにしてほしかった。

 

 

 

つっこみのチャンスは逃してしまったが、黒ひょうは結構気に入った。

 

動物占いのサイトによると、情熱的な黒ひょうである私の性格は

「どんな事にも一生懸命に取り組みどんな人に対してもとてもやさしいので、周囲からは好感を持たれやすくいつも人の輪の真ん中にいます。」

とのこと。

 

そ、そうかい?

よせやい。照れるじゃないか。

 

「しかし、1つだけ難点があります。それは感情のコントロールが上手くないということです。」

 

 

 

なんだと!?

感情のコントロールがうまくないって一体どこの誰が言ったんだ!!!

そんなことないだろ!!!

 

 

心外である。

 

 

「基本的にはとても優しい情熱的な黒ひょうさん」

 

そうそう、そうなのである。

黒ひょうは慈愛の心に満ち溢れた生き物なのである。

素敵なことば、ありがとう。

 

「ですが、ひとたび機嫌を損ねるとまるで別人のように豹変してしまいます。」

「気に入らないことがあると感情に出して表現します。」

 

 

 

黒ひょうだけに豹変ってか!

よくも言ってくれたな!

その強靭な翼を食ってくれよう!

 

 

 

動物占いは当たらないということがわかりました。

「デレステ」の本気を見た

私がやっているスマホゲーム、「デレステ」がなんかすごいキャンペーンをしている。

デレステ」とは、プレイヤーがプロデューサーとなって、アイドルをプロデュースするというコンセプトのリズムゲームである。

 

そして今行われているキャンペーンは、なんと一定期間デレステに登場するすべての衣装を鑑賞できるというのだ。

 

無課金の人間が、すべての有料アイテムを手に入れるようなものだ。

 

これは革命である。

 

どれくらいすごいかというと、床屋にゴルゴ13の漫画が全巻揃っているくらいすごい。

ゴルゴ13のどの話でも読めるのである。

 

 

すべての衣装がそろっているとは一体どんな感じなのか。

さっそく試してみる。

 

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すごすぎる。

 

この限定衣装が並ぶ光景を無課金で見ることができるのか。

 

この3種類を無課金で集めようと思ったら2年はかかる。

生まれたばかりの赤ん坊が無課金デレステを始めた場合、自我が目覚める頃にようやくこの光景を見ることができるのである。

 

たいていはこの光景を見る前に課金をしてしまう。

生まれたばかりの赤ん坊がデレステを始めた場合、歯が生え始めるあたりでみんな課金してしまうのである。

しかも多少の課金では、必ずしも手に入るとは限らない。

確実に手に入れるなら10万円ほど必要になる。

赤ん坊はそのとき、資本主義のおそろしさを知るのである。

 

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本当にすごい。

 

お祭り。

 

北島三郎の「まつり」がこの光景を歌ったものであることはあまりにも有名である。

 

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スクリーンショットがとまらない。

 

ここぞ!というタイミングで押さなければならないので、ストップウォッチを止めるときくらいの強さで電源ボタンと音量ボタンを同時に押す。

 

歯もすごい勢いでくいしばる。

 

奥歯が痛み出す。

 

血もちょっと出てくる。

 

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(ワタシが好きなワタシが好きならばワタシを好きでいてもいいですよ)

 

アルトコロニーの定理」の頃のRADWIMPSみたいな歌詞だ。

 

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ため息しか出ない。

 

わずか10分ほどの鑑賞であったが、10分にここまで満足感を得たことはないと言えるほど素晴らしい時間であった。

 

 

決めた。

私は、本気でプロデューサーになる。

無課金で果たしてどこまでいけるか試してみたくなった。

 

今の仕事を辞めて、プロデューサーになるのである。

 

 

 

 

もともと仕事してなかった。

 

 

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記日ラカイハ和昭

"激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。"

 

本日は昭和の日である。

 

私のような平成のナウいヤングは昭和という時代がよくわからない。

昭和といえば、テレビが白黒だったらしいという情報くらいしか知らない。

 

昭和の人たち、めんごめんご。

悪気はなかったので許してちょんまげ。

 

 

まあそれは一旦置いといて。(横に置くジェスチャー

現代のようなハイカラな遊びがなかった昭和という時代、みんな何をして遊んでいたのか。

 

調べてみると、1950年代にはホッピングが流行ったらしい。

冗談はよしこちゃんだ。

みんなホッピングでとびまわる時代が日本に存在したのか。

今の日本において、家の前の道路でホッピングをやろうものなら確実に通報されてしまう。

警察からぴょんぴょんと逃げる羽目になる。

 

あと、フラフープも爆発的に流行ったらしい。

インド人もびっくりである。

時代の流れとは怖い。

おセンチな気持ちになってしまう。

 

1960年代になると、スーパーボールが流行る。

あれは確かに面白い。私も少年時代集めたものだ。

当時の人たちのセンスはバッチグーだ。

 

1970年代に入ると、アメリカン・クラッカーが流行したらしい。

どうぶつの森で出てくるけどいまいちピンとこないやつだ。

2つのボールをリズムをとってカチカチと鳴らして遊ぶらしい。

はじめて知った。

わけわかめ

スライムやインベーダーゲームもこの時代だという。

こうしてみてくると、インベーダーゲームが登場してきた時はさぞ革命的だったのだろうなと思う。

 

そして昭和も終盤。

1980年代になると遊びはみるみる進化を遂げ、ルービックキューブゲーム&ウォッチガンプラビックリマンシールファミコンなどが出てくる。

ここまでくればもうナウい

現代と変わらないような遊びも徐々に登場してくるのである。

 

 

確かに、昭和の遊びだけを切り取ってもその発展はめざましく、まさしく激動の時代ということができるのではないか。

冷コーを飲みながら昭和に思いを馳せる。

昭和の日にあるべき過ごし方をしてしまった。

 

それではここらへんでドロンすることにする。

バイナラ。

健やかなる丼

ジャンバラヤ」。

 

聞いたことはある。ぼんやりとしたイメージも浮かぶ。

コメ料理ということはなんとなく知っている。

あと、アジアっぽい。

 

だが、しっかりと見たことはない。

もちろん食べたことなどない。

 

ということで、これからジャンバラヤの作り方を想像で記しておきたい。

自炊をしたことがない人間がジャンバラヤを本気で当てに行く。

 

 

《材料 1人前》

サラダ油…20ml

米…2合

コチュジャン…大さじ2杯

味覇(ウェイパー)…適量

コーン…1缶

ヤングコーン…5~6個

豚バラ肉…適量

 

 

まずは、フライパンにサラダ油をひく。

 

そこに炊いたご飯、コチュジャン(これが「ジャンバラヤ」の「ジャン」の部分)、豚バラ肉(これが「ジャンバラヤ」の「バラ」の部分)を入れて炒める。

 

さらに、コーンを加える。

ローカル米料理には、やたらコーンが入っている印象がある。

あまり米に甘いものを混ぜるのは好きではないのだが、ここはジャンバラヤに合わせてやる。

 

そこにヤングコーンだ。

ジャンバラヤ」の「ヤ」の部分である。

これは食感が楽しくて子どもたちがみんな好きだから。

ジャンバラヤはもともと子どもたちが健やかに成長するようにという願いが込められた料理である。

ジャンバラヤ」を直訳すると「健やかなる丼」だ。

あとは、中華丼にヤングコーンが入っていると嬉しいから、ジャンバラヤにもきっと入っているだろうという期待を込めて入れた。

 

仕上げに味覇(ウェイパー)。

これを入れておけば間違いない。どんな料理でもおいしくなる。

困ったときのウェイパー頼み。

神の調味料の名は伊達じゃない。

 

あとはお好みでヤングコーンを上に乗せていく。

 

 

完成。

「健やかなる丼」ジャンバラヤである。

 

 

さっそくいただく。

 

ヤングコーンと米が絶妙にマッチしている。

ヤングコーンのコリコリとした食感が楽しい。

コチュジャンの辛さがコーンの甘味を引き立てている。

あとはヤングコーンの食感が楽しい。

 

 

ジャンバラヤ大変おいしくいただきました。

これはおそらく正解ではないか。

ごちそうさまでした。

 

 

 

レシピの答え合わせ(「クックパッド」より)

 

米…〇

玉ねぎ…×

ウインナー…×

コーン…〇

パプリカ…×

ピーマン…×

オリーブオイル…×

ケチャップ…×

みりん…×

チリパウダー…×

醤油…×

クミンパウダー…×

ソース…×

コンソメ…〇(ウェイパー)

塩コショウ…×

ニンニク…×

 

思ったより複雑だった。

調味料どんだけ入れるんだ。

「調味料のさしすせそ」から塩、醤油が出場しているとともに、

「調味料のかきくけこ」からクミンパウダーとケチャップとコンソメも出場している。

 

これは初心者にはきつい。

料理ってこんなに初期投資が必要なんだ。

 

しばらく自炊は遠慮しておくことにする。

自粛期間最高の暇つぶし、「ひとり神経衰弱」

お題「#おうち時間

 

まだまだ自粛期間が続く中、最高の暇つぶしを見つけた。

「ひとり神経衰弱」である。

ルールはたいへん複雑で、ひとりで神経衰弱を行うというものだ。

人間の記憶力の限界にひとりで直面する遊びである。

 

どうせやるならと思い、神経衰弱のコツをネットで調べた。

いろんな方法が出てきたので何個か試してみて、それを改良し、自分に合った方法を編み出した。

神経衰弱をどうしてもやらなければならないときに備えてメモを残しておくことにする。

 

①カードを頭の中で4つのグループに分ける

②4つのグループそれぞれを自分の家の「玄関」「風呂」「机」「ベランダ」に置き換える。

③カードの数字にそれぞれ色を割り当てる(3は緑、5は青、Qはピンクといった具合)

④あとは、カードをめくった場所に、出てきた数字の色を頭の中で塗っていく(「玄関」のグループで3が出てきたら、自分の家の玄関に緑色を塗っていくという具合)

 

これでだいぶ勝率が上がってきた。

といっても、もちろんひとりでやるので自分との戦いである。

 

この遊びをしばらくやってみて思ったのは、文字通り神経が衰弱する。

どこに求めているカードがあるか必死に思い出そうとするため、だんだん集中力が落ちてくる。

ここだ!と思ってカードをめくって全然違う数字が出てきたときには、人間の記憶力ってこんなものかというショックを受け、精神的に疲れる。

あと、なにより、「私はひとりで何をやっているのだ?」というみじめさを味わうことになる。

 

そうして神経が衰弱してくると、私はすかさずエンヤを聞く。

爆音で聞く。

頭の中に大草原が広がり、すべてリセットされる。

トランプたちによってめちゃめちゃに塗り散らかされた家が浄化されていき、またひとり神経衰弱ができるようになる。

 

そしてまた集中力が切れ、記憶力に辟易し、みじめさを思い知る。

エンヤを聞く。

家がきれいになっていく。

 

この繰り返しである。

 

だんだんエンヤを聞く時間のほうが長くなってくる。

そうして目をとじて一日を終えるのである。

 

途中から薄々気づいていたが、エンヤが聞きたいだけであった。